
こんにちは!来客メディアコンサルタントの佐藤旭です。
ノウハウ系の記事ばかり書くの疲れたんで(笑)、今回はフツーに先日の出来事を書こうと思います。
僕は今東京の片隅に10年以上住んでいますが、20歳になるまでは毎年のように引越しをする転勤族でした。
そんな僕が25年ぶりにかつて住んでいた土地を訪れながら、目指す未来にいる先輩たちの飲み会に行くという、お話です(笑)
目次
切れるご縁を悲しんだ転勤時代
父親の仕事の関係で、東日本を中心に遠くは海外まで引越しをよくしました。
(実は転職魔ということが発覚したのは大分後ですが)
小学校は6年なのに、5回変わりました(笑)
中学校も1度変わりました。(学校は同じでも1度引越しをしています)
高校は海外に留学させてもらったんですが、2度引越しをしています。
帰国したら、家は引っ越していました(笑)
そんな引越しばかりする人でおそらく共通するのが、人や土地に執着しなくなる・・・興味が無くなる事じゃないかと。
1年程度しか住まない土地や人に愛着を持てば、別れが悲しくなるだけ。
今はスマホやネットの普及で距離はあまり関係なくなりましたが、そうなったのはわずか10年ほど前の話。
いつしか、人にも土地にも環境にも興味を持たなくなってしまったのは間違いなくこれが原因でした。
ガンダムで「ここにいてここにいないズレの様な感覚」という表現をよく使いますが、ふわふわした感覚が大分ありましたね。
だからこそ、今ご縁を重んじるんですが。
そんな訳で、僕は思い出話が大嫌いでした。
僕は4人兄弟なんですが、思い出話をすると席をはずしていました。
「過去に何があるんだよと。気持悪ー!」と思っていました。
だから過去に住んだ土地を訪れるなんてことは、正直あまり考えてはいなかったんです。
しかし、どういう訳かやたら近くまで行く機会があったので思い切って今回行ってきました。
この記事を読んでいた人が、実は同級生だったという奇跡のようなことは・・・起こらないかもしれないけど、起こったらうれしいなと(笑)
25年前・・・【過去】へタイムスリップ
きっかけは、ご懇意にさせていただいている株式会社アイマーチャントの菅智晃さんでした。
株式会社ディスカバリーの小澤竜太さんからのご縁をいただいた憧れのビジネスパーソンです。
(なんと、同じ年なんです!)
そんな株式会社アイマーチャントの事務所があるのは、東久留米。
実は、僕が一番長く住んでいた埼玉県の街にめちゃくちゃ近かったんです。
もう行くことはないと思っていた場所が、予想以上に近くにあることを知り「きっとこれは何か縁があるからいこう」と思っていました。
とはいっても、そこに行くことだけを目的とするのもなんか重い。
なので、先日菅さんが開催された飲み会に参加させていただく前にぶらっと寄ってみることにしました。
電車に乗ると、なんかそわそわする。
泣いちゃわないかなんて思いながら、25年ぶりに戻ってきました。
『航空公園駅』
僕が住んでいた頃はまだ駅ができる前でした。
たぶん初めて使う駅でしたが、降りて周りを見たら飛び込んできた『並木』の文字。
「うわ〜〜〜〜〜〜〜! 並木! 懐かしい!」
小学校の頃、友達が住んでいてよく遊んでいた並木団地!
25年前はもっと整備されていない感じだような・・・とじわじわ〜っと記憶が蘇る。
よくハミ玉したシーソーが確かあったような・・・。
みたいなことを思いながらキョロキョロする36歳。
「あいつ怪しすぎる」
って思われた方がいるかもしれません(笑)
数歩歩いてはキョロキョロ。
数歩歩いてはキョロキョロ。
そしてスマホで撮影でしたからね。
「うわ〜〜〜〜!懐かしい!!」
という独り言を繰り返しパッと目をやると目に入ったのが『パークタウン商店街』
「!!!!ここ、めっちゃチャリで来て友達と遊んだ場所だ!!!」
今はどうなっているんだろう?
まだあの店はあるのか?なんて思いながら足を踏み入れました。
すっかりシャッター街になってしまった過去の商店街
「確かここにおもちゃ屋さんがあったっけ・・・」
そう思いながらぶらっと商店街に入ってみると、殆どシャッターが閉まっていました(涙)

元おもちゃ屋前
確か・・・ここにおもちゃ屋があった。
カードダスの機会と、ガチャガチャの機会と、ゲームの筐体があった・・・。
メダルゲームも確かあったような気がする。(じゃんけんのとか)

こ~いうのやった世代いるでしょう!
ちょうど僕たちの親世代にあたる団塊世代が築き上げた団地街は、ここも例に漏れずすっかり寂れてしまっていました。
その中で当時のままだったのが、文房具屋さん。
ここでよく文房具を買っていた〜〜!!まだあったんだ!
オシャレサロンLIONS!(床屋さん)
その名の通り、西武ライオンズゆかりのお店です。
「いらっしゃいませ〜! ようこそライオンズへ〜!(いらっしゃいませ〜!)」
と入店すると迎えられたんだよね。
で、カット後に10円ガムをもらって噛みながらチャリを漕いで帰るという。
あ〜〜〜!懐かしい!
しかしまぁ、悲しいくらいシャッター街で、お菓子をよく買っていたお店も無く・・・。

ここは確かお菓子を売っていたお店。
ご覧の通りの寂れ具合でした。

夕方なのに、買い物客がいない・・・お店がないもんね。
住んでいた頃は、人で溢れていたんだけどな・・・。
しんみり。
よくお使いに行った『キンカ堂』も無くなっていた・・・。

店先に焼鳥屋とかあったんだよな~。
航空公園の丘で滑るようにダンボルーをよくもらいに来ていたな・・・。
写真屋さんが使い終わったフィルムをキーホルダーにしてくれたりしたんだよね。
チャリでよく行ったので、ものすごく長いと思ったら、徒歩5分で通過。
道こんなに短かったけなぁ・・・。
親友が住んでいた団地へ
そして、その商店街に隣接したパークタウンへ。
ここは25年前に親友が二人住んでいた所。
友達がたくさん住んでいたなぁ。
団地だから、見た目に殆ど変化はなし。
「あ、あった!ここ!」
親友のはっちゃんが住んでいた10号棟!
もう一人の親友、てっちゃんは何号棟だったか忘れた(笑)
この団地、いまだに夢に出てくることがあるという。
めちゃくちゃ遊んだもんな。
ぶっち(当時の友達)とか元気かな・・・。
密かに誰かと「あ・・・れ・・・・あれれれれ?????!!!」
みたいな再会を期待したんだけど、時間も早めの17時だし。
幼少期から25年間同じ団地に住み続けるというものすごくレアケースには当たりませんでした。
そして、自分が住んでいた団地へ
友達との思い出に懐かしみながら、次はいよいよ本命の住んでいた団地へ。
本当は関係者以外入ってはいけない場所なんだけど、過去に関係者だったってことで!(スミマセン!)
最悪、道に迷った程でなんとかなるということで。
「あっった〜〜〜!4号棟!」
確か、ここの4階だったはず。
よく遊んだゴミ置き場!(発泡スチロールを擦って汚したりしました)
自転車置き場、そのままだ!
壁当てをよくやった場所!(実は野球少年でした)
そして、建物の入り口!(流石に入り口でやめました)
当時はめちゃくちゃ広いと思っていたんだですが、びっくりするほどコンパクトでした。
今でも間取りは覚えている。
めちゃくちゃ流行ったメンコをやったマンホール。
自転車屋さんがよく来た道。
スーパーか何かのトラックがよく来ていた場所。
自転車の後ろに、子供用の足こぎのカートを連結させて爆走させていたなぁとか思い出したり。
今思えば当時ほんとクソガキで、問題起こす度に両親は謝って回っていたんだっけ・・・。
そういや、当時あった原っぱが焼ける大事件が起こった時、きっと俺に違いないと噂が立ったそうな。
(地元ではかなりでかいニュースになった)
いやぁ・・・迷惑散々かけたね。
親は周りの噂話とかで結構息苦しい時あったんじゃないかな・・・ごめんね。
そして、最後に幼稚園バスの停留所だった場所を通り、団地にさよなら。

今も来ているのだろうか、幼稚園バス。
懐かしの小学校と航空公園
次に向かったのが、1年生と4年生・5年生の夏まで通っていた小学校へ。
さすがに中には入れず、通って終わり。
5年生の時の記憶がふわっと思い出される。
そういや、消火器ぶちまけたことあったけ(爆)
そういや好きな子3人いたっけ(笑)
ツンデレ系と、しっかり系と、アイドル系だったかな(笑)
確かこの年あたりにスーファミが出たんだよね〜。
友達の家に行って、みんな体が左右に揺れていたもんな〜(笑)
F-ZEROとか!
学校の前にいても怪しい人になるので、程々に懐かしみながら最後は航空公園へ。
確かものすごい急な坂が多かった気がするんだけど、結構平坦な感じでびっくり。
工事したりしたのかな?
「弟がチャリでこけて前歯を折った坂は、確かこの辺・・・。」
なんて懐かしみながら歩いていると、そういえばこんなことがあったって思い出が蘇る。

特撮ものとかでよく撮影に使われていたな~。
「あ・・・こここの間夢に出た場所」
実は1か月位前に航空公園に来る夢を見ているんだけど、来て思い出した。
夢の中では、満開の桜だったなぁ。
「そっか〜、やっぱここに来ることは決まっていたんだな〜」
なんて、思いながら後にしました。
僕は高校で留学していた時にめちゃくちゃお世話になった菊地さんって方から
「全ては奇跡的なんだけど、必然なんだよ。」
という話をされた時にものすごく衝撃を受けて、それ以降そう思うようになったんだですよね。
耳にする音楽、服すらも必然で意味がある。
そう考えると、その瞬間全てが意味のあるものに変わった。
やっぱホント全ては必然なんだな、ご縁なんだなって改めて思う。
「こうありたい」そう思う【未来】へ
最後は、未来への切符をチャージして(要はヘパリーゼ)東久留米へ!

プレミアムにしました!
今回は、『春の舞茸祭り』という揚げ物大好きな僕のためにあるのではないかと思うようなコンセプトの飲み会でした。

メインのマイタケの天ぷら!

誰がとってもおいしそうに撮れない黒から揚げ(笑)
菅さんの周りには、いつも楽しそうにしている方が沢山いらっしゃって。
生きるパワースポットなのではないかと僕は最近思っています。
起業後1年以内に9割が廃業するという、厳しいビジネスの世界で10年以上成功されている菅さん。
ビジネスに関するお話はいうまでもなく得るものしかないわけですが「この先も、次回もまたこういう場にいたいな」という未来をいつも与えていただきます。
去年、娘の出産予定日に実は無理を言ってお時間を取っていただいた事があります。
今日は佐藤旭さんとサシ飲み。2件ともすっかり御馳走になってしまいました♡旭さんと話していて、ここまでディスカバリー内で「小澤竜太」への愛が強い人はいないと感じる程、あったかい気持ちになりました。またぜひ飲みたいなと思います♪ pic.twitter.com/I58TCEnpxB
— 独立起業コンサルタント@菅智晃 (@sugatomoaki) 2015年12月26日
予定日通りで時間が合わなかった、それもご縁。
結果的に、娘が生まれたのはその後で、「この時間の為、出てくるの待ってくれたのかな」と感謝しています(笑)
色々とお話したんですが、結果的に好きなってしまったんです。
2016年の今に間違いなく大きな影響をいただきました。
「こういう人になりたい。未来も関わっていたい。」
そう思う魅力が溢れまくっている菅さんの飲み会には、魅力的な方ばかり!

尊敬する金子徹郎さんのお隣でした♪
真ん前の席を陣取り、終電までお話をさせていただきました。
間違いなく僕の目指す未来の形です。
全てはなりたい未来の為の過程。
でもその過程も必然なのなら、全てに意味があって掛け替えのない時。
だったら、そこも楽しみたい。
だからビジネスは面白い。
そんな事を後に続く人に言いながら、飲む未来の自分。
そんな事を思いながら電車に乗りました。
家族の待つ【現在】へ
今まである種避けてきた過去に戻り、ちょっと向き合い。
自分がなりたい未来を見て、家内と娘の待つ自宅へ。
次は家族3人で航空公園に行くのもいいかもしれない。
自分が望んだ未来にできるのは、自分しかないない。
だから、過去と向き合う事も大切だけどそれ以上に自分がどうありたいかをもっと見る。
一歩。また一歩と進んで行き、その先に喜びに溢れる未来になりますように。
最後に、僕が目指す未来は『僕が一番欲しかったもの』という歌に出てくる世界。
エゴと言われるかもしれないけど、人の喜びに先にしか本当の喜びはないと僕は思う。
そのために、自分もたくさん喜んで行かないとね!
振り返ったらたくさんの喜ぶ人がいたらいいな。
そんなわけで、過去から未来へ行き、現在へ戻るというとても充実した1日でした!
飲んだ後、いびきがひどいので仕事部屋に布団を敷いて寝ました(笑)